院長への3つの質問

「なぜ小児科になったのですか?」

よく尋ねられる質問です。

僕が小児科医を目指した頃は、まさに「構造不況の時代。これから先、少子化を控えて、産婦人科と小児科は余ってしまうだろう」と言われていました。

ですが僕らの同期は、20名以上が小児科医になった、かなり変わった学年でした。1つのきっかけは、当時小児科の助教授(准教授)だった先生が講義で仰ったひと言だったかもしれません。

「小児科医は、親とともにこどもの成長をみていくことができる素敵な職業です。」

このひと言に触発された同期は少なくなかったのかもしれません。

僕は元々小児科医になりたくて医学部に入りましたので、その言葉に感動しましたが、「それがきっかけで小児科医になった」というわけではありません(笑)。

元々は、「こどもの白血病を治せる医者になりたい」と思って医学部に進みました。

あの頃は、白血病というと随分治療成績が上がってきたものの、まだまだ、という病気でした。僕らの時代、映画やドラマのヒロインは、みんな白血病で亡くなるんです。なかなかインパクトのある病気でした。

それを治せる医者になりたい。最初の動機はそれでした。

卒業後は良く、「ジジババみるより、いずれジジババにならなくちゃいけないこども達をみる方が良いでしょ」と言っていました。

そう、こども達はみんな、将来は憎たらしくも素敵な「ジジババ」にならなくちゃいけないんです。病気に邪魔をされたくないのです。

 

 

「なぜアレルギーが専門なのですか?」

前の質問でお答えしたように、僕は「こどもの白血病を治せる医者になりたい」と思って医学部に進みました。

入学時の希望そのままに、卒業後小児科の勉強を始めたのですが、現実はなかなか厳しい。血液・腫瘍チームでの研修では、掌からこぼれていく生命達に自分の至らなさを痛感するばかりで、すっかり心が折れてしまいました。

 

大学から都立病院へ勉強に出されたとき、NICU(未熟児病棟)で素敵な恩師達に出会いました。

落ちこぼれてどうしようもない研修医に呆れながらも、最後まで見捨てずご指導下さって、なんとか道を踏み外さずに済んだのですが・・・

それまでの大学病院では、朝から夜遅くまで病棟にいて、こども達と色々な話をして、色々な経験を積みました。ところがNICUにいるちびちゃん達とは、会話が成立しない。もちろん今から思えば、ベテランの先生達は、表情や動き・モニターの数値その他で、ちびちゃんたちとちゃんと会話しているのです。でも駆け出し落ちこぼれの研修医にはそれができなかった。

 

何を専門にしようか悩みながら移動した一般小児科病棟で、もう1人の恩師に出会いました。

小児アレルギー学会の「喘息死委員会」委員長をお務めだった恩師に、アレルギーのいろはを1から教えて頂きました。

面白かったんです。自分にもダニアレルギーがありますし、元々白血病を始めとした「免疫」(外敵と自分とを区別して、自分を守るためのしくみ)に興味がありましたから、アレルギーを専門にするのも良いなぁ、と思うようになりました。

東邦大学佐倉病院から呼ばれてこの地に来て、さらに勉強してみたら、本当に面白かった。研究室で好酸球(白血球の1つ。主に寄生虫やアレルギーでの兵隊さん)について研究をしたのですが、顕微鏡の中でコバック染色液に染められて緑色に光り輝く好酸球は、本当に綺麗で心を奪われました。

 

今、多くのこども達がアレルギーで悩んでいます。

自分が学んできたこと、今も学び続けていることを、少しでもこども達に役立てたいと願っています。

 

 

「どんな本や音楽が好きですか?」

大学時代、地元旭川市在住の三浦綾子さん・光世さんご夫妻と出会い、とても可愛がって頂きました。ですから三浦綾子さんのご本はとても好きです。

以前綾子さんに、「この本はねぇ、主人公をどんな風にしようかな、と思ったとき、貴方の顔が浮かんだのよ」と言葉を頂きながら、1冊のご本を頂きました。「あのポプラの上が空」

「え~ 僕がモデルですか?」とびっくりしたら、「もちろん松山さんそのもの、という訳では無いですけどね。でもそうとも言えますね」といたずらっぽく笑っていらしたのが印象的でした。

 

「めぐり逢うべき誰かのために」(石川 正一)も浪人生だった僕には、本当に心動かされる本でした。作者は、筋ジストロフィーという難病にかかり、周囲の多くの人に様々な影響を与えて、若くして天に召されました。この中に登場する東大教養学部の先生に、予備校で教わっていました。

 

そして「星くず」シリーズ(大谷 博子)。漫画です。漫画ですが、人生観を大きく変えてくれました。「人は生きているだけで十分価値がある。その価値を高めていくか低めてしまうかは、その人の生き方にかかっている」という言葉(と哲学)は、いつも心にあります。

 

そして、さだまさしさんですね。

彼の持つ独特な世界観と人生観は、いつも大きな励ましになります。

「風に立つライオン」という歌は、丁度医学生だった頃に発表されたのですが、この歌に影響を受けた医師は、決して少なくありません。

みんながみんな、海外で医療支援に従事できるわけではありませんが、縁があって医師になった人たちは、みんな心の中にライオンが生きているだろう、と信じます。

 

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